先日、細田守監督作のアニメ映画「おおかみこどもの雨と雪」を観たんですよ。
なにも前知識がなく、しかも「おおかみのこども」という設定から、てっきりファンタジー映画かと思いきや、結構心にブスッと刺さる内容でありまして・・・。
シングルマザーの筆者としては、結構痛々しく感じる場面もありました。
世間でも賛否がハッキリ分かれる作品らしく、「超感動した!」という人もいれば、「全然共感できなかった」と漏らす人もいるようです。
そんな「おおかみこどもの雨と雪」のあらすじをまとめながら、本作の主人公と同じく2児のシングルマザー目線での感想をつづっていきたいと思います。
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「おおかみこどもの雨と雪」主要な登場人物(※ネタバレあり!)
主な登場人物
●主人公「花(はな)」
父子家庭で育ち、その父も亡くし天涯孤独となった19歳の少女(登場当時)
奨学金を受け通っている東京の大学で、学生ではないが講義を受ける青年(おおかみおとこ)と出会う。
孤独な人生を歩んできた共通項のある「おおかみおとこ」と惹かれ合い、恋愛→同棲→妊娠・出産(大学を休学)
「雪」と「雨」の順に、2児を年子で出産するが、雨の生まれた直後に「おおかみおとこ」が謎の死を遂げる。
その後、育児に奮闘しつつも都会での生活に限界を感じ、田舎の農村に引っ越す。
最初は村の人たちとも交流しなかったが、だんだん打ち解けるようになり、雪と雨の子育てにまい進する・・・。
●「おおかみおとこ」
ニホンオオカミと人間とのハーフで、ニホンオオカミの血を受け継ぐ最後の者。人間とオオカミの姿を使い分けることができる。
正体がバレるのを恐れ、ひっそりと孤独に暮らしていたが、「花」と恋に落ち正体を明かす。
正体を受け入れてくれた「花」のアパートで一緒に暮らすようになり、子供(「雪」と「雨」)にも恵まれる。
引っ越し屋のアルバイト(?)で生活を支えながら家族に尽くすが、ある日突然いなくなる。(「雨」が生まれた直後)
「花」が探しまくった結果、コンクリで囲まれた川の中でオオカミの姿で死亡しているのが見つかる。死因は明らかにされていない。
●花の子供「雪」
花の最初の子供として生まれた女の子。父親(おおかみおとこ)の血を受けつぎ、人間とオオカミの両方の姿になることができる。
感情が高ぶるとコントロールが効かず、オオカミになってしまうことがある。
幼い頃はおてんばで、野生のヘビやネズミを平気で捕まえてくることもあった。
しかし、小学校に進み、周りの女子たちと自分との違いに気付き、オオカミが持つ野生の性を封印するようにふるまうようになる。(花には「学校ではオオカミの姿にならない」ことを約束して通学を許された)
高学年になるにつれて、「人間として生きたい」という気持ちが強くなり、オオカミの姿がバレることを恐れるようになる。
ラストでは「人間とオオカミとの混血」という事実を受け止め、その上で「人間」として生きることを決意。中学に進学する。
●花の子供「雨」
花の2番目の子供として生まれた男の子。「雪」とは1歳差。父親(おおかみおとこ)の血を受けつぎ、人間とオオカミの両方の姿になることができる。
感情が高ぶるとコントロールが効かず、オオカミになってしまうことがある。(ただし「雪」よりもその回数は控えめ)
幼い頃は食が細く、身体も小さく、夜泣きもし、気も弱い子供だった。(活発な「雪」とは正反対)
田舎に引っ越してきた後も内気な性格はそのままで、特に学校ではなじめなかった。
そのうち学校をよく休むようになり、代わりに山に出かけるようになる。
山で出会った野狐を「山の自然のことを何でも教えてくれる先生」と言って慕うようになり、学校で人間として生活するよりも、山でオオカミの姿になり、先生(野狐)と行動を共にすることの方に意味を見出していく。
10歳になる時、先生(野狐)がケガにより先が長くないと知ると、「先生の代わり(山の統治?)をやらなきゃいけない」という自覚が芽生える。
そして、台風で雨風が吹き荒れるさなか、山へ旅立つ覚悟を決め、ひとりで花と雪と過ごした家を去っていく。
ラストでは、必死で探し回っていた花の前にあらわれ、立派に成長したオオカミの姿を見せるとともに、あらためて山へ巣立っていく。
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「おおかみこどもの雨と雪」3つの”胸グサッ!”ポイント(シングルマザー目線で)
ファンタジー映画と思って観た本作品。
ところがどっこい、シングルマザーの筆者の立場からすると、かなり胸に突き刺さるシーンが何度も登場します。
思いっきり主観になりますが、そんな”胸グサッ!”ポイントをご紹介。↓
- 妙に現実的な描写
- 主人公「花」のハリボテの笑顔
- 子供を認めているのかいないのか?
それぞれ詳しく説明していきます!
※以下、かなりストーリーの核心に触れるところもあります。
①妙に現実的な描写がところどころに・・・
おおかみおとこ(父親)が亡くなって、1歳と0歳の子供2人を女手一つで育てることになった花。(←この時まだ20歳くらい)
誰の力を借りることもなく、たった一人で育児に奮闘します。
完全なるファンタジーだったら、そこで隣に住んでいる心優しきおばあさんが助けてくれたりするのでしょうが、ここからの展開が妙にリアル。
隣の住人からは、「子供の夜泣きがウルサイ」とクレームを入れられるし、児童相談所の職員がやってきて「お子さんは定期検診や予防接種を一度も受けていないが大丈夫なのか?」と詰め寄られ、アパートの大家さんには「ペット禁止なのに飼ってるでしょ!?」と怒られます。
※ペット=オオカミに変身して吠えていた雪と雨。
都会を抜けて田舎に引っ越してきた当初も、村の人々に「金はどうしてるんだ?」とか「あんな幼い子供2人も連れてやってけるのか?」など、噂話をされる始末。
こんな風に、「オオカミと人間との子供」というありえない設定でありながらも、妙に現実に引きずっていく描写があちこち出てきます。
「シングルマザーの苦労・貧困」とか「ネグレクト」など、社会問題となっている部分を切り取ろうとしたのかどうかは分かりませんが、もうホントに「闇」を見た気分になりました。
②主人公「花」のハリボテの笑顔(特に前半)
花は亡き父から、「辛いことがあっても笑顔でいれば大丈夫」みたいなことを教わり、それを遺言のように思って生きています。
だから、おおかみおとこが亡くなった後も、涙を浮かべながらも笑おうとするし、子供たちの前では激しくしかることもなく、いつも優しい笑顔です。
ですが、その笑顔が私個人的にはツラかった・・・。
『人は恐怖を感じたり追い詰められたりすると、それを”否定したい”がために笑顔が出る』っていう説がありますよね?
物語前半の花の笑顔は、まさにそんな感じの笑顔に見えました。心から笑っているのではなくて、自分を守るために出てきた笑顔・・・みたいな感じ。
子供は小さいし、すぐオオカミになるし、それを知られないように誰の手も借りず孤独に子育て。
寝る暇もなく家事育児に追われ、隣人や大家からクレームは入るわで、ぶっちゃけ踏んだり蹴ったりなんです。
そんな状態の中で、精神状態に余裕をもった笑顔を見せる・・・なんて全然想像できないんですね。現在進行形で子育てしている私としては。
※そこまで深掘りせんでもええやん!とツッコまれそうですが、妙に現実的な描写があるから余計に入り込んでしまう。
実際、私の身の上話をすると、離婚してシングルマザーになってから数ヶ月くらいは、もう頭の中が混乱していて靄がかかったようになり、子供といる時も「とりあえず笑っとけ・・・」みたいな感じでふわーっとした笑いしか出ませんでした。
物語前半の花の笑顔は、まるでそれをトレースしたような印象でした。
見る人によって感じ方は違いますが、私としては、物語前半の花が浮かべる「へら~」っとした笑顔は、身も心も疲れ切っていて思考停止状態の時に出る、反射的な笑顔のように思えて仕方がありませんでした。
③子供を認めているの?いないの?どっち!?
主人公の花は、ひたすら、自分の子供の「雪」と「雨」の特徴(オオカミになれること)をひた隠しにします。
妊娠したときは「オオカミの姿で生まれてきたらお医者さんがびっくりするから」という理由で、検診に行かず自宅で出産するし、児童相談所に問い詰められるほど公的なサービス(子供の健康診断など)を受けないし、オオカミの姿がバレると大変だと言って、最初は集団生活の場(保育園や学校)に通わせるのにも難色を示します。
自分が愛した「おおかみおとこ」の最大の特徴を受け継ぎ生まれた子供なのに、その特徴を最初から「世間的に受け入れられないもの」と決めつけ、ひたすら世間から離そうとしている感じがするんですね。
で、「私が守る」と。
これは花自身も、おおかみおとこも、「世間にあまりかかわらず、迷惑をかけずひっそり暮らすのが平穏な生き方」だと信じているから故だと思うんです。
誰しも「この一線を超えると正気が保てなくなる」というラインがあるはずですが、花にとってはそれが「世間から注目を浴びること」だったのではないかと。
「子供たちが好奇の目にさらされないように・・・」と表面上では気にかけているつもりでも、実は花自身が正気を保つために、雪と雨の存在をひた隠しにしていたのではないのか・・・?と思ってしまいました。
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とは言え、ラストに近づくにつれホッとしたことも
ファンタジーなのか、超現実なのか・・・?
交錯する展開に、前半は「うぉぉぉ・・・・」と胸が痛めつけられていた私ですが、物語がラストに近づくにつれ、ちょっとホッとしたところもありました。
まずは、「雪」と「雨」が、それぞれ自分自身の意思で進む道を決めたこと。
雪は、花がひた隠しにしてきた影響もあってか、「オオカミになれる」という特徴をコンプレックスのように感じていましたが、最後は信頼する友人の前でオオカミに変身してカミングアウト。
友人が受け入れてくれたのをきっかけに、自信に満ちあふれた顔で「人間として生きる」という選択をします。
一方で雨の方も、人間とは気が合いませんでしたが、山の自然の中でオオカミとしてのアイデンティティを確立し、「オオカミとして生きる」決断を自分でします。
親にとって、子供はいつまでたっても子供ですが、その人生の選択肢までは干渉しない。子供が自分で考えて、自分で行動を起こす!
ってのが私自身も常に考えていることであるので、それはガッチリ共感できたな~と。
そして主人公の花も、だんだんハリボテの笑顔から、いろんな表情をするようになっていきます。(と、私は感じた)
雪が友達にケガをさせた時には、血相を変えて学校まで駆けつけるし、雪の斜面を子供たちと滑って遊んでいるときは、大口開けてゲラゲラ笑います。
笑っているのに顔は死んでいる、前半の「へら~」っとした笑顔とは別人のよう。
これには、「良かったなぁ、生きる気力のある顔になってきたな~」と感じました。
「おおかみこどもの雨と雪」感想まとめ
「おおかみこどもの雨と雪」は、単なるファンタジーだと思って観ると、かなり心がえぐられます。
たぶん、子育てしている親御さんにとっては、苦しい場面がいっぱいあるはずです。
私自身はこの作品に、次のようなテーマを感じました。
- 母親の強さと同時に、必死な育児で陥る「視野の狭まり」と「情報格差」の恐怖
- 「子供のため」として取る行動は、果たして本当にそう思ってのことなのか?
- 子供が自分自身でアイデンティティを確立することの重要性
単なるファンタジーだったら、賛否両論は巻き起こらないだろうし、「おもしろかったねー」で終わると思います。
妙にリアルな描写があるからこそ、花と同じく2児のシングルマザーでもある私には、この作品が強烈に印象に残ったのでした。
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